K・リテラシー

ジャーナリストKANAME EIGHTの8つの視点から持論を展開。

ロシアの秘密結社「フリスティ」

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グリゴリー・ラスプーチン

これも前回お話しした「宗教的秘密結社」の話と同時期に聞いた話だが

初代メンバーに怪僧ラスプーチンが所属していた秘密結社「フリスティ」が今も

ロシアに存在しているらしい。

名前は「フリスティ」もしくは「フィリックス」だった記憶があるのだが

飲めや騒げやの乱痴気騒ぎとフリーセックスの団体で

ルールがないので血も涙もないことが特徴らしく、当時は米国の秘密結社スカルアンドボーンズと引き合いに出され、スカルアンドボーンズ、フリーメイソンはまだルールが存在するがフリスティはルールがない為、これ程恐ろしい闇組織は他にはないと言われていた。

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以下wikpediaより抜粋

リゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンГригорий Ефимович Распутин グリゴーリィ・イフィーマヴィチュ・ラスプーチンラテン文字転写:Grigorii Efimovich Rasputin、1869年1月21日ユリウス暦1月9日[1]) - 1916年12月30日ユリウス暦12月17日[2]))は、帝政ロシア末期の祈祷僧シベリア・トボリスク県ポクロフスコエ村英語版出身。

奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧・怪物などと形容される。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評は極めて低い反面、その特異なキャラクターから映画や小説など大衆向けフィクションの悪役として非常に人気が高く、彼を題材にした多くの通俗小説や映画が製作されている。

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どういった形でロシアに関わっているかはわからないが

チェチェン独立派がモスクワ劇場を占拠した事件があったが、多くの人質の犠牲を

出した上で犯人は全員射殺するといった凶行について当時のメディアで報道されていたがベスラン学校占拠事件では負傷者700名、386人が死亡(子供186人)

ロシアは立て篭もり事件が起きると人質の犠牲を厭わずに総攻撃を実施して無理矢理

終結させるといったまさに血も涙もないやり方を見るにつけ、背後に存在する闇組織についてリアリティを感じたのだった。

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以下wikipediaより抜粋

2002年10月23日、42名の武装勢力は、モスクワ中央部ドブロフカ(ドゥブロフカ)ロシア語版にある劇場「ドブロフカ・ミュージアム」で観客922名を人質に取り、第二次チェチェン紛争により進駐してきたロシア連邦軍チェチェン共和国からの撤退を要求した。これが受け入れられない場合は人質を殺害、自分達も爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告。これに対し、ロシア当局は強硬な態度を示し、武装勢力の要求を事実上拒否して武装勢力は追い詰められた。

その後武装勢力は、10月26日朝までに自分達の要求が受け入れられなければ人質を殺害するという最後通告を行ったため、緊張が高まった。政府はこれに対し交渉を行うとの声明を出したが、実際は突入への準備が行われていたといわれる。

26日の午前6時20分頃にロシア連邦保安庁FSB)の特殊部隊であるアルファ部隊が突入。その際、特殊部隊は犯人を無力化するためにKOLOKOL-1と呼ばれる非致死性ガスを使用した。劇場内にいた大半はこのガスによって数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。武装勢力側は全員射殺された。

なお、突入の直前に犯行グループ側が人質を殺害したとの報道も流されたが、発表では銃弾で死亡した人質はいない。亡くなった人質の死因は窒息死で、特殊部隊側がどのようなガスを使用したかを救急隊に隠したため、人質は救出後仰向けに寝かされ、喉に異物が詰まり窒息死した。[1]

ロシア政府は当初、このガスの成分を一切公表しなかったが、後日ロシア保健相が麻酔薬であるフェンタニルを主成分にしたものであるとの発表を行った。しかし、詳細な成分については今なお不明である。

武装勢力は一人残らず射殺されたと報道されたが、ただ一人死を免れたハンパシ・テルキバエフという男がいたことは秘密にされた。2003年、ロンドン在住の元FSB大佐のアレクサンドル・リトビネンコは、ロシア政党自由ロシアの副議長、セルゲイ・ユシェンコフに、テルキバエフに関する情報を手渡した。その後まもない4月17日、ユシェンコフ議員はモスクワの自宅前で銃殺された。リトビネンコによれば、テルキバエフはチェチェン抵抗勢力へ浸透し、挑発するために訓練を受けていたという。テルキバエフはチェチェンマスハドフ大統領(当時)のプレスサービスに勤めていた過去を持ち、また、(劇場占拠事件の後の2003年3月に)ストラスブルグで開かれた欧州評議会議員総会(PACE)のセッションに、ロシア議会外交委員長のドミトリー・ロゴージンの随員として参加していた。テルキバエフは国営紙「ロシア新聞」の記者証を持っていたとされている。[2]

その後、この事件について調べていたアンナ・ポリトコフスカヤの前にテルキバエフが現れ、自分は劇場占拠時、内部にいた囮工作員で、武装勢力をそそのかした主犯だったとアンナ・ポリトコフスカヤに明かした。またロシア連邦保安庁の捜査官でもありクレムリンの顧問であると証言した。テルキバエフが、なぜ命を差し出すような証言をしたのかは不明だが、取材したアンナ・ポリトコフスカヤがインタビューを公開した後、2003年12月15日、テルキバエフはチェチェンで自動車事故に遭って亡くなった。アンナ・ポリトコフスカヤも、2006年10月7日の午後、自宅エレべーター内で射殺体で発見された。10月7日はプーチンの誕生日である。[3]

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全てのロシア兵が残虐非道だとは思わないが、ウクライナ国民数百人の遺体の中には後ろ手にされた状態で後頭部を撃ち抜かれて殺されていたらしく、拷問や強姦の形跡も数多く存在したらしい。

報道ではアルファ部隊という特殊部隊の存在が再び登場し、このアルファ部隊による

残虐非道の虐殺が行われていたという話が流れていたが、もしかしたらこのアルファ部隊が闇組織「フリスティ」の薫陶を受けているとすれば、血も涙もない虐殺の背景が朧げだが見えてきたような気がする。