共産主義は独裁者を生み出す装置のようなもので、日本を震撼させた1960〜1970年代の学生同士による殺し合いを誘発させたことを考えると恐ろしいことこの上ない。
安倍元総理大臣殺害の手引きをしたのは国内に存在する反安倍団体だが、ここでは詳しく述べることを避けるが左翼に洗脳された山上による強行であることはほぼ疑いようがない。
米国のネオコンによるスナイパーによる暗殺説が誠しやかに囁かれているが、銃声が二つしか聞こえないこと、サイレンサーを使ったにせよ山上の特攻とタイミングを合わせることなぞ至難の技だろう。
こういった陰謀論を流すのも専制主義国家の常套手段である。いい加減に目を覚すべきではないかと思う昨今である。
共産主義等の唯物史観に染まれば生命を軽視するようになるのだろうか、ということで今回は革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)を中心に左翼思想の危険さについて語っていこうと思う。
一方で右翼は淺沼 稻次郞刺殺事件(日本社会党)原敬暗殺等があり、内ゲバでお互い後先考えずに派手に殺し合いをするといったことは筆者が知る限り少ない。また小泉純一郎の靖国参拝について批判した加藤紘一宅を放火して全焼させたが、生命の大切さを理解した上で自ら切腹で生命の幕をおろそうとしていたこともあり、暴力的な活動は肯定されるものではないが右翼のそれは国を憂えたものだが、左翼のそれは性質が全然違う。
犯罪白書よれば内ゲバ事件(1968年~2000年)は件数2020件、死者97名、負傷者5429名だが、2004年迄の死者3名を加えると死者100名である。内ゲバの巻き添え、あるいは攻撃側の誤認、活動資金確保を目的としたノックアウト強盗(内ゲバを装う)によって死傷したノンセクトや一般人も少なくない。これらは「誤認」と言われた。しかし誤爆について、実行した党派が謝罪したケースはほとんどない。
戦争中のどさくさで人命が奪われるならまだしも、2000年代においても、ある意味志を同じくするものを殺害するという発想は常人では中々理解出来ないものである。
革マル派のリンチ歴史(asayakeha風に巻かれてより抜粋)
1970年8月14日
中核派に変装した革マル派活動家30人が法政大学に侵入し、中核派学生十数人を襲撃する。
1971年6月19日
琉球大生の革マル派活動家・町田宗秀が沖縄人民党(民青)に殺される。
1972年11月8日
1975年3月14日
中核派の最高幹部・本多延嘉を殺害(中核派書記長内ゲバ殺人事件)。
1977年2月11日
革命的労働者協会(革労協)の最高幹部・中原一を殺害(革労協書記長内ゲバ殺人事件)。
1985年2月5日
和光大学構内内ゲバ事件が発生(和光大事件)。午後2時過ぎ頃、和光大学構内において、革マル派活動家が中核派活動家を襲撃。竹竿・鉄パイプ等の凶器を用いて暴行を加え、8人に傷害を負わせるなどしたため、凶器準備集合・傷害などの罪で逮捕・起訴される。
1986年1月20日
1988年7月1日
京都大学教養部構内内ゲバ事件が発生。6人の中核派活動家が負傷。
1993年7月
拡大全国委員会で黒田議長が、賃プロ主義者DIを「粛清」。
1995年、革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害、山里章の
1995年10月~12月 JR労組幹部(鉄道友愛会議長)宅に電話盗聴。
1996年2月 JR内部で活動する革マル派の実態を告発した『JRの妖怪』の著者、小林峻一の自宅から取材メモやフロッピーディスクなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に応じた関係者に対して脅迫や嫌がらせを行う。5月14日 神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス付近の路上で午後9時頃、内ゲバ事件が発生。革マル派活動家の元早稲田大学社会科学部自治会委員長が死亡。6人が負傷。
8月 国鉄労働組合(国労)本部書記長(当時の企画部長)宅に不法侵入
8月~10月 早稲田大学学生部長宅盗聴事件。
9月 神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す
1998年1月 革マル派非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、偽造した警察手帳や公安調査官証票などが押収される
2001年4月7日 神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」「家に火をつけてやる」
この平和な日本において、20年以上前とは今も昔も変わらず平和である。その最中で前述のような事件が起きること事態が理解に苦しむのだが、革マル派は反スターリン主義を標榜してはいるものの、やっていることは個人崇拝はさておき、暴力的という部分ではスターリン主義そのものである。唯物史観は神仏の存在を否定することで人間がその上に立つことになり、純粋なマルクス主義理論では恐らくは仕組みとしてそれが成立すれば、人の上には人が立たないはずではあるが、本来であれば「統制(コントロール)」が困難である部分にまで人間の意志が反映すると考えているのか、それが上手くいかないと暴力的に変貌していく。
また殺害に至る動機と死の定義が特殊で連合赤軍においては革命戦士になれなかった「敗北死」革マル派は「階級的怒り」という謎の表現を使っていることが特徴的である。オウム真理教であれば「ポア」だが、オウムないでも凄惨なリンチがあり、複数の信者が殺害された事実がある。
革命とはいう言葉は思考停止を呼ぶ呪文のごとき、作用して非合法的な世界へ誘うパワーがあるのかもしれない。
#陰謀説 #陰謀論 #ディープステートは存在しない