K・リテラシー

ジャーナリストKANAME EIGHTの8つの視点から持論を展開。

真理を求めて「テロ集団」に変貌する矛盾について

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随分昔の話になるが、自分が易経等の古典や奇門遁甲について学んでいた時期があるのだが、例えば太極拳の動作には全て易経の法則が当てはまるといった話があり、それを理論的に話す人がいたが、易経太極拳経と言った文献をベースに実際の動作に当てはめる人間を見たのは初めてだった。

これは「たら、れば」を排除した、FACT(事実)に基づいて理論を構築して解説する本格的な国際政治の分析の在り方と似ていると思った。

自分は洞察力が他人に比べてどうやら優れているらしいのだが、太極拳経を理論的に語る人物の理論に当てはめて、例えば格闘技の動きを観ると何故、そのようになるのかが明確にわかるのだが、中国武術等にファンタジーを求める人間には中々、到達出来ない視点らしい。

一方で中国武術のそれは「力学的な裏付けがある」と語る人間もいるが、文献を読むと頓珍漢なことが書いてあることがほとんどである印象がある。

力学的という言葉は嘘くさく聞こえるのがブラックボックスに覆われた武術の世界であり、力学という定義を当てはめるとまた別の物になってしまう。

国際政治における分析もまた、物差しを誤ると頓珍漢な流れに行ってしまう。

人間が社会生活を営む場合にも、どのような物差しで物事を判断するかで、打ち出される全てが変わっていく。

悟りとは考え方の工夫とは言ったものだが、正しいファクターを手に入れられるかどうかで、その後の何かが変わっていく。

インドに、行っても宗教的な悟りは得られずに

国家転覆を図る教団に変貌を遂げたオウム真理教資本論をベースに学んだ先の極左テロ集団には確かな真理に基づいたファクター(物差し)を得られなかったことが不幸の始まりであったのではないかと思う。

易経では誤りがわかった時点で元に再び戻ると

いった考えがベースにあり、コンピューターでいうところの自動運転をする航空機が航路を外れた時に、厳密に言うと物理的に外れる前に元に戻す数式もまた易経に似た理論で作られているらしく、古典的な基本原則とファクトチェックは何処か似ているなと思った。

#陰謀論 #ディープステートは存在しない