所謂、正しくない仏教や密教を「左道仏教、左道密教」と呼ぶのだが、仏教においては基本的に不犯がベースにあり、妻帯を始めて破戒僧扱いをされていたのが浄土真宗の親鸞上人が始まりだった記憶がある。
自分の生まれは北海道だが、札幌の外れに「定山渓温泉」があるが、これは僧侶の美泉定山が開発を始めたのが最初で、当初は常山渓だっが
後に定山渓に改名されることになった。
霊験あらたかで、法力抜群の僧侶だったらしいが、普通に二度に渡って妻帯していたようである。
左道とつく宗教的なものであれば有名なモノだと淫祀邪教と呼ばれていた立川流がある。
左道の特徴として、不特定多数と性交渉を通じて三昧境を味わうといったものが多く散見されるイメージではある。
中国の仙道で言うところの房中術がそれに当たるが、異性との性交渉を通じて気を廻らせて、なんたらというものである。
因みに何故かインド系のそれについてはフ○ラ、日本では尺八と表現するそれは精神を眠りに堕とす物として、忌み嫌われていたようだが、自分の感覚ではそのこだわりがよくわからない。
10代の頃にそういった左道密教系と思しき書籍については随分と目を通したものである。
前回の投稿で書いたオウム真理教もまた、左道的であり、UFO教団もフリーセックスを謳っていた為、それに該当する。
世間を騒がせた、ライフスペース事件、法の華三法行、名前が出てこないが白装束教団は左道に該当はしないかもだが、思い出した、パナウェーブ研究所だ。左道的なものはクラシカルな宗教と比較すると、倫理観、モラルが欠如しているところが共通点である。
名僧列伝に名を残すような聖賢の多くは記録を観る限りでは皆、不犯であり清廉潔白である。
自分も若りし頃は、こんな生き方に憧れたこともあるが、何か違うなと思いシフトチェンジをした記憶がある。
戦前、800万人の信者を擁した神道系宗教団体の大本教開祖の出口なおが、お筆先(御神示)中で「嬢や坊では越えられない世の中がくる」と言っていたが、世間知らずでは確かに通用しない時代が来る予感は10代の頃から感じていたことは確かである。
中学生の頃から戦争に巻き込まれる可能性があると考えて、当時はサバゲー等で鍛錬をしていたがよく馬鹿にされたものである。
戦争は起きないという母親とよく議論になったが、自分自身が相当浮いた存在であったことは確かで、20代前半代では保守的な人間にいい歳こいて、自分の足元を固めることを考えていないと馬鹿にもされたが、砂上の城のような価値観がよくわからなかったのだ。
果たせるかな、現在は自分が想像していた時代が訪れている様を見て、理論を超えた超自然的な何かで現在(いま)を感じていたのかも知れない。