日本左翼の系譜を振り返る意味で、連合赤軍や中核派、革マル派の功罪とも言える今日迄の歩みを見てきたが、いいようもない空虚間を覚えたのだが、恐らくはチンケな机上の空論で構成された革命の動機に全く共感が出来なかったからだろうか。
空虚と迄はいかなくとも、ロジックに偏した感がある古典を読むと同様な閉塞感を覚えたことがある。性悪説をベースとした韓非子や荀子は何処か、それに触れると渇いた感覚になるが、性善説が根底にある、論語や孟子には暖かみに似た何かがある。
孔子は「君子鬼神を語らず」の姿勢の通り、あまり霊等の超自然的な事柄については語らなかったが、唯物論にはない温かみがある背景には唯心論を肯定するスタンスであったことがよくわかるのだ。
共産圏、社会主義等の唯物史観に侵されている人間の生活はネットや動画で普通に観察は出来るが、唯物史観を感じさせる生活の一シーンを見ると嫌な気持ちになる。
誠か嘘かはわからないが、コロナが出始めた当時にまだ息があるのに死体袋に入れられる病人、交通事故で重傷を負った戸籍を持たない黒子が、救急車にも乗せられず放置される様を見聞きすると、唯物史観に世界が染まれば地獄に近づくのではないかと思うから、共産主義や左翼は頭から否定するスタンスになってしまったのだと思う。
例えば家庭に居場所がなく歌舞伎町を徘徊する少女の為にバスを提供している慈善家がいたが、共産主義者で、安倍晋三元総理が暗殺された際には自民党政治があの事件を呼んだ等のコメントをしてる様を見て、一見善行をしてるように見えても、根底が唯物史観ではどうにもならないなと思ったものである。
#陰謀説