K・リテラシー

ジャーナリストKANAME EIGHTの8つの視点から持論を展開。

実は子供も大人も正しい定義を知らない前提で議論が進むことによる齟齬について

最近、気がついたことだが議論になった場合、そもそもの定義が違うことに気が付かされることがある。

カレーライスか、ライスカレーかといった話は過去に聞いたことがあるが、読み方が違うだけで同じ物ではあるが、表面的に同じ名前のものでも捉えている中身が全然違う場合がある。

子供同士の議論では社会経験不足で起きがちな話だが、小学生時代は昆虫博士と言われる程、地元の小学生ではおそらく自分がナンバーワンを語ってもいいレベルで昆虫には詳しかったはずで、3歳の頃から昆虫図鑑を借りる為に図書館に通っていたことからもそれは大体、想像出来るはずだが、子供達に人気があった「バッタ型」「キリギリス型」の昆虫の話を例えに出すと、褐色のキリギリス科の「ヒメギス」という昆虫が地元におり、幼虫期の姿は羽が短い為、カマドウマ、いわゆる「便所コオロギ」と揶揄される昆虫はバッタ目カマドウマ科である。

カマドウマ

ヒメギス

コロギス

何故か、便所コオロギと揶揄されるカマドウマが何故か地元では珍しい昆虫だった為、子供達の関心は昆虫カーストでは比較的上位に位置するキリギリス科よりも軒下を徘徊するカマドウマの方に向かっていたことがあった。

子供の一人が「カマドウマを捕まえた!」と大騒ぎしていたが、手に持っている褐色の昆虫は「ヒメギス」だったが、区別がついていなかった為、それは違うと教えてあげたのだが、頑なに「カマドウマ」だと譲らず、結果的に何故か他の子供等を巻き込んだ口喧嘩へと発展したのだが、昆虫図鑑と実際の実物を知っている自分はその違いについて説明したものの、全く話が通じなかった記憶がある。

似たようなことは弟との対話でもあり、あそこの草原には「コロギス」がいるという話をしていたが、コロギスに似た別のキリギリス科の昆虫であり、自分も勘違いしたぐらいだが明らかに違うという結論に達したことがあった。

幼少期の頃から、物事の具体的な違いについて気が付くことが多かったが、周囲の子供達はそうではなかったことが他の分野でもあり、社会経験と知性がまだ十分に育っていないことが原因だと思っていたが、年齢の高低に関係なく大人になっても同様の事例があった。

私は陰謀論は否定派ではあるのだが、陰謀の存在そのものは否定してはいない。

先日、政治家の裏には黒幕がいるいないという話で盛り上がったが、その時に「あんたは陰謀論を否定してるじゃないか」と言われたことで、大きな齟齬があることに気がついたのだ。

陰謀とは誰かが裏側で権謀術数を画策する場合を指すのだが、世の中の陰謀論はそれとは違う。

陰謀論の問題点はファクト(事実)がなく、裏取も全くしていないのに断定してしまうことで、例えばワグネルのプリゴジンプーチンが「内部の敵を洗い出す為の旗艦作戦!流石は情報戦!」等と謎の主張を垂れ流したりすることであり、推測、憶測、主観の域を出ていないという前提があるならわかるが、さも千里眼の持ち主かのような感じで、推測、憶測、主観が「そうに違いない!」となることである。

G7もそれと敵対する国だって国益を考える裏には「陰謀」は普通にあるに決まってるだろうし、むしろ陰謀があった方がいいのは日本ぐらいだが、陰謀を企てる能力すらない政治家で溢れていることがそもそも問題であると考えている。

話は少し逸れたが、定義付けは一般の人が考えるより重要であるとは思う。

プログラムのソースも定義付が曖昧であれば成立はしない。

いわゆる「底辺」と揶揄される人間にこの定義付の能力が低い傾向があるように思えるのだが、誤った「定義」が「観念」、「自己限定」が「価値観」になることでその後の未来を潰していく可能性があることを考えると人はどこかで誤った「定義」で物事を判断しているのではないかと思った次第である。