テクノロジーとスマホ等のインターフェイスの発達と共にこれまでは存在しなかった新しい職業がどんどん生まれて来ている。
youtuberが良い例だが、10代から20代の若者が後先を考えない過激な企画で再生数を伸ばして、収入を得ると言ったこれまでにはなかった新しいビジネスモデルだが、振り返って見ると筆者も彼等と同世代の頃は動画こそなかったが、日常的に過激な遊びに身を投じていた記憶がある。
現在のyoutuberも過激と言えば過激だが、自分達の時代はもっと過激で普通にアカウント規制をかけられていたに違いない。
それが「スピリチュアルカウンセラー」の存在である。
平成7年頃から始まったオウム真理教を始めとする様々なカルト教団による悪事のお陰で宗教のイメージは過去最悪のレベルまで下がった記憶があるのだが、いつの間にか、いわゆるスピチュアル用語が一般的になってきたような気がする。
代表的なものをあげると「波動」という言葉だが、会話の中で波動というキーワードを出しても空気が微妙になることはなくなった。
さて、実際のスピリチュアルカウンセラー、かつては霊能者と呼ばれる種類の人間だとは思っていたのだが、占い師もそれに含まれる為、一色たんには出来ないが、目に見えない世界を扱うという部分では同じと考えてもいいだろう。
どのように鑑定をするのか、一例を挙げると相談者の指導霊を呼び出して、相談者に最適なアドバイスを贈るとかあるらしい。
誤ったアドバイス、要するに相談者の人生を狂わせるような内容の話しということだろう。これの正邪をどこで見極めるのか?
過去に本業はスピリチュアルカウンセラーだけど、それだけだと生活が出来ないから副業でアルバイトをしているという女性と知り合ったことがある。
くだんの彼女、勤務先では同僚から「お前がカウンセリングされた方がいい」と陰口を言われる始末で、なんでも就業態度がかんばしくないらしく、突如としてヒステリックになったりして、上司や同僚を困らせていたらしい。
常識的に考えると人に人生のアドバイスを送る人間というものは
ある程度人生経験と何かの分野で頭角を現しているか一角の人物ではないのだろうか。欠点はあれど何かに突出しているかコミュ二ティーにおいては一目置かれる存在であるはずだ。
それが同僚や上司が扱いに困るような日常を過ごしている人間に果たして出来るのだろうか甚だ疑問である。
別の例を出せば、霊視で色々な人にアドバイスを送って一目置かれていた女性がいたのだが、裏側では性の乱れが半端なく、ここだけの話しを彼女と関係した男性から耳打ちされたことがあったりした。
その視点で考えるならば、一般的な占いはまた別としても霊視を伴うような鑑定において正しいアドバイスを相談者に送ることが出来るとは到底思えないのだ。
有名な淫蕩邪教と呼ばれていた「立川流」という密教系の宗教団体がかつて存在していたのだが、男女の交わりによって霊的なインスピレーションや霊脳的な秘儀を授かったりするという謎の教えで、中国系の仙道やインドのヨガの行法に似たようなものが存在したりもするのだが、少し考えれば真っ当なものではないことが常識的にわかるはずだ。
話しを戻して、では降りて来ているもの、例えばその高級霊、指導霊というものの正邪を一体どうやって判別するのだろうか
正邪の判別方法としてかつては武内宿禰が審庭(サニワ)という方法を用いて、降りてくる霊の良し悪しを見極めていたらしい。
有名なものでは宇佐八幡御神託事件というものがある。
日本のアイデンティー関わる重大な出来事であるのだが、聖職者が命懸けで挑んでいたことがよくわかる。
その殆どが「偽物」であることがこれでよくわかるはずだ。
あの霊能者は経済力があるから正しいと言った基準も当然だが正しくはない。
確かに現在の、これからの宗教者の在り方は豊かでなければならないような気はするのだが、純度と正邪は全く別問題である。
それならば乞食坊主でも霊験あらたかだった先賢の存在をどう説明するのか
経済的成功者であっても政治を読み解く力は全く別であるのと同様に昨今よく耳にする「スピリチュアル」もまた実は到達し難い境界に存在することは間違いないのだ。