国際政治やインテリジェンスの世界に真剣に触れれば必ずぶつかる壁がある。
また、筆者が感じているように全ての人がそれを感じているかはわからないが、真剣に情報に触れると解ることがある。
真剣に向き合えば向き合う程にはっきりすることがある、それは
「自分は実際に何もわからない」という現実に必ずぶつかるということだ。
検索及び、書籍を紐解けばそれなりに「情報らしきもの」には遭遇はするのだが、真偽がどれもはっきりしないものが99%である。
真偽がはっきりしないと思えないのならば
恐らくは情報を扱うセンスがない人間で、
何もかも疑うということではなく、裏付けとなる事実は何処に存在するのか?といった部分に目が向かない時点で、恐らくはその入り口にすらたどり着けないだろう。
疑うのではなく「安易に断定せず、他の可能性がある余地を残す」ということである。
確かにオシント(公開情報)では物理的に人や物が動けば具体的に「いつ、どこで、誰が、何々をどうした」迄はわかる。
ただ、動機と目的は「声明」を上げてるわけではないから具体的には推測(憶測)でしかなく、限りなく断定に近いレベル迄把握するには必要なものがある。
それは
「ヒューミント情報」である。
ヒューミント情報は人間を仲介して伝わる情報で、出来事に携わっている人間か、それに近いゾーンにいる人間、それらの人間とのパイプがある人間から入る情報が真実に近い
「ヒューミント情報」になる。
本物の情報プロには必ず、この情報ネットワークがあることが大前提であることが強く言える部分ではないか。断言を避ける理由として、情報を得る為の何かしらの媒介があるのではないか。
その視点で考えて見ると、大手メディアについては現地特派員、もしくは駐留している人間がそこにいる状態に近い状況で情報を得ているかどうか、現地特派員ではなくとも、特派員と同等かそれ以上かは様々あれど、そこから入ってくるヒューミント情報がなければ
リアルタイムの報道は出来るはずもなく、恐ろしくタイムラグのある既に終わった情報が流れつくことになる。
何のバイアスもかからず、嘘ではないが
役に立つ情報ではなくなっているのだ。
例えば電車の遅延情報がリアルタイムでなければほぼほぼ意味をなさないのと同じで、それが軍事侵攻の話であれば判断のブレ幅は恐ろしい開きになる可能性が高く、進軍中であれば、5秒とそこにいるはずもない。
今回の考え方がベースにあれば、ヒューミント情報を持たずに断定してしまうことがいかに危険であるかがわかるはずである。
もとい、ヒューミント情報を持つ人間本人が
断定をすること自体がレアであることを知れば考え方の幅は随分広がるのではないか?と
思う次第である。
#インテリジェンス #国際政治 #ウクライナ侵攻 #陰謀説