さて、本来は個人的なSNS等で語るような話ではあるような雑談になるのだが
友人知人には「お前はトーク能力がずば抜けてるから、店を開いてもウーロンハイだけでやれる」という謎の高評価をいただいている為、今回は雑記的な話をしてみようと思う。
諸事情があり、京都に移住してから早一年以上の歳月が
過ぎて大都会東京の渋谷を本拠地にしていた自分が京都のど田舎に
引っ越してきた時は京都銀行の窓口の女性に「差し支えなければ何故、渋谷から
ここに?」と興味深げに聞かれたものである。
京都のどこであるかは具体的な場所の明記は避けるが、徒歩圏内にコンビニが一軒
あるぐらいで、あとはいつ営業しているかどうかもよくわからない飲食店がポツポツ
とあったりする。
随分と交友関係は増えたが、象徴的だと思ったことはあまり自分の生活の枠を超えて
何かをしようとする人間がほとんど存在しないということで、啓蒙される何かは今の
ところ存在せず、このままだとボケていくなという危険性を感じたものである。
私の場合は偶然は基本的に全て「必然」と捉えている部分があり、自分が田舎で
学ばなければならない何かがあるからここにいるのだと考えてからは腰が座るようには
なった。
振り返ってみれば、一昨年は町おこしを主体とした某県のプロジェクトに参画していた
こともあったが田舎というものを全く理解していなかったことで、相当に苦労させられた記憶がある。
元々、フリーランスで田舎企業のマーケティングも行っていたこともあったが、地方都市に住む人間の傾向や性質を全く把握していなかったのだから、正直な話安定とは程遠い状態ではあった。
私自身の強みは恐らくは同年代と比較して硬直した思考には侵されてはいない為、大学生の感覚で物事に取り組むことが出来る部分で、そうでなければ今更東京を離れるという選択肢を選ぶことはない。
これは学生時代にある経営者が「松下村塾」をモデルにした私塾を主催しており、当時はそこに入り浸り、塾長の教え通りに古今東西の古典文学を読み漁るという青春時代を過ごした為か困難に陥ると、当時読んでいた古典のフレーズや先賢の生き様が脳裏に蘇る。
識者と話をすると普通に会話が成り立つ為、「君は一体どこで学んだのか?」と驚かれることが多いのは見た目の風貌から、論語物語等の情景を普通に話せるようには見えないからだと思うのだがそもそも、受験のプロでしかない学歴偏重主義が幅を効かせていたのはバブル崩壊から数十年の間のことで現在は幕末と同じぐらいの変動期なのだから、いわゆる制服組が逆に路頭に迷う時代になったのだ。
今は悪癖となる昔の価値観をいかに捨てられるかが問われる時代で、現在進行形の今に思考を合わせて行動していくしかない。
昔話をして楽しんでいるようでは今も未来も生き抜くことは出来ないと思う次第である。