K・リテラシー

ジャーナリストKANAME EIGHTの8つの視点から持論を展開。

【陰謀論】光と闇の系譜について語る。

ディープステートの定義は「ディープステート、または闇の政府とは、アメリカ合衆国連邦政府・金融機関・産業界の関係者が秘密のネットワークを組織しており、選挙で選ばれた正当な米国政府と一緒に、あるいはその内部で権力を行使する隠れた政府として機能しているとする陰謀論である。「影の政府」や「国家の内部における国家」と重複する概念でもある」。ウィキペディアより

 

この定義を全く把握せずに謎の議論を仕掛けてくる人が散見されるので確認の意味で書いてみたが私個人が否定しているディープステートはこの定義に当てはまるもので、裏側にいるものをなんでもディープステートに当てはめて主張されると収集がつかなくなる。

当たり前の話だが、各利権が存在する業界でそれぞれ悪さをする人間は普通にいる。

それ相応の大学を卒業していても定義づけすら明らかに出来ない大人がいることに驚きを覚えているが、よく大人になれば世の中のことがわかると言った話を子供にする大人がいるが、それは社会に出て更に何かしら自分が置かれた環境で努力をしてきた人間は成長はするが、受験勉強だけ頑張ってきてレールに乗って、そこから磨いてこなかった人間は成長するわけがない。

これは遠因には朱子学的な机上の学問による悪き系譜の亡霊とも言える。

 

すでに崩壊している終身雇用時代の幻に未だに取り憑かれている人間が明確な対論を持たずに陰謀論に染まり、親近者から見ず知らぬの人間まで現実の場やネット空間に至るところで聞くに堪えない

妄言を撒き散らす様を見ると、終戦からしばらく流行っていた学生運動のような負のエネルギーが形を変えて別のアプローチで国を破壊しようとしているのかと訝しげに思うこともある。

 

宗教的な話を殊更するつもりはないのだが、光が強くなれば闇が濃くなる、この世から悪を無くしたければ善を無くせばいい、それで悪は消えると、何かの折りに聞いた記憶がある。

1970年代よりずっと前から光に似た前の系譜があるならば、闇に似た悪の系譜も現代に姿形を変えて存在しているような気がする。

 

民主主義は善なのか?と問われると「善」そのものではないと思う。

恐らく善をどこまでも追求するとマルクス主義思想のようになり、裏返って究極の悪に至るのだろう。

民主主義、本当の善は恐らくもっと「玉虫色」である気がする。

清濁併せ持ちつつも、時代に合わせて適宜そのスタンスを柔軟に変えて国の発展と国民の生活が充実していき、後世に良きものを残していく。これはロジカルな民主主義の定義から外れていくので単純に私自身の持論である。

 

清濁合わせ持つことを否定するから左翼思想のグループはどこも「内ゲバ」が始まる。

内ゲバに明確なる根拠はなく、ほとんどは利害関係の対立によるものか感情論による「難癖」でしかない。

共産主義者と論争すると度重なる「我田引水」で話がめちゃくちゃになることが多い。

 

社会主義経済市場原理とは共産主義者にとっての「清濁」の「濁」(濁り)にあたる部分になる。

共産主義がまともに機能しないのだから、市場原理を取り入れて経済を立て直そうとするものである。

 

この清濁併せ持つと言った感覚は机上の空論を述べる人間には非常に難しいものである。

悪名は無名に勝るといった言葉があるが、何も影響力がない人畜無害の人間よりも悪名が轟く人間の方が結果的に世に勲しを残すものであるという意味合いであるとは思う。

 

今は影響力のある馬鹿である「ロシアと中国」が世界を騒がしているが、強烈な闇である彼らが暴れることで強烈な光がこれから生まれようとしているのかもしれない。それは民主主義国を中心として出来上がる新しい新機軸か何かか。人知で考えても未来はよくわからないがこの世もまた「清濁併せ持つ」のが自然な姿だと思う所以である。

#ディープステートは存在しない #陰謀論 #陰謀説 #ウクライナ侵攻